映画「マトリックス」の物理学

 中込先生の著書では、従来の唯物論的な量子力学の問題点についての考察も書かれていますが、量子力学の詳細に立ち入る前に、もう少しモナドの性質について見ていきたいと思います。

 前の記事では、VRゴーグルを使用した仮想現実世界の例を、量子モナド論の宇宙モデルに近いものとして書きましたが、この記事では、映画「マトリックス」の世界を比較モデルとして、もう少し量子モナド論の宇宙モデルを説明します。

 映画「マトリックス」の内容は殆どの方がご存じと思いますが、ご存じない方もいらっしゃると思いますので、簡単に説明しておきます。

 最初、映画開始時点で普通の都会の様子が描写されますが、この世界は仮想現実世界であり、この仮想現実世界に暮らす人々は、自分が仮想現実世界に暮らしていることを自覚していません。人間の本体は、仮想現実世界を管理する「管理システム」のコンピュータに接続され、仮想現実の中に存在するものは、人間のアバターです。管理システムは、仮想現実世界の中のアバターの位置に人間が存在していた場合に感じるはずの五感の情報、すなわち、映像、音、体の感覚(皮膚感覚等)、味、においの情報を直接本物の人間の脳に入力します。そして、本物の人間による、声を出す、体を動かす、といった能動的な活動意図の情報が管理システムにより収集されます。管理システムは、収集した情報に基づき、その人間の能動的な活動に起因する変化を、設定された物理法則に従って仮想現実世界に反映させます。例えば、誰かがボールを投げる意図を持ったら、物理法則で計算される軌跡通りにボールを仮想現実世界の中で移動させます。このように、管理システムは、仮想現実世界内にあるもの全てのもの、自然環境、人工物等を制御します(図2)。人間は生まれた時から、管理システムに接続された状態に置かれており、管理システムにより各人の能動的活動による変化も適切に仮想現実世界に反映されるため、人間同士の世界認識が食い違うこともありません。このため、各人は、仮想現実世界が実在の世界と感じ、自分の姿はアバターの姿であり、自分はその仮想現実世界の中のアバターの位置に存在していると感じるようになっています。そして、管理システムにより設定された物理法則に自分たちの生きている世界は従っている、と認識します。

 量子モナド論で考える「物質宇宙」は、この映画「マトリックス」の仮想現実世界と似たものであると言えると思います。映画における本物の人間が、量子モナド論におけるモナドであり、映画における仮想現実世界の中のアバターが、量子モナド論における人間です。そして、仮想現実世界を作り、制御を行う映画の管理システムに対応して、量子モナド論でも物質世界を作り、制御を行う「制御機構」があります。但し、映画の管理システムが集中システムであるのに対して、量子モナド論では分散システムを考えます。つまり、各モナドが個別システムを持ち、それぞれが自分の内面に物質宇宙を作りだします。ここで、全ての個別システムには、予め、同じ物理法則に従い、同じ姿をした物質宇宙を作る設定がなされています。そして、各モナドは、全てのモナドが自分の物質宇宙に加えた変更情報が分かるようになっており、その変更情報により、各モナドは内面の物質宇宙の姿を、全てのモナドで同じになるように制御します。結果的に、皆が、同じ物理法則に従い、同じ姿をした物質宇宙を見る、ということについては、一つの管理システムで全体を制御する場合と同じになります。

 では、どうやって、各モナドの個別制御システムに、同じ物理法則、同じ姿の物質宇宙の設定を行い、また、どうやって他のモナドが、そのモナドの物質宇宙になした変更情報を得るのでしょうか。ここのところについては、中込先生は、結果として、各モナドの物質宇宙が同じ姿になるような対応関係があることを自然法則として設定してしまえばよい、として、そこの詳細に立ち入ることを避けています。

<引用開始>中込照明「唯心論物理学の誕生」第4章中の「予定調和」の節

 では、どうしてこのような対応関係(筆者注:視点の違いを除き、各人が見る宇宙のイメージが同じになるためのイメージの対応関係)が生じるのかという疑問が生じる。ライプニッツはこれを「神」に帰着させて、「予定調和」と呼んでいる。

 物理学的発想法で単に世界モデルを作るという立場に立つなら、ここで何も「神」を出す必要はないのである。前にも述べたように、この対応関係を初めに自然法則として設定してしまえばよいのである。

<引用終了>

 確かに、この対応関係を成り立たせている機構を掘り下げていくと、神に関わるようなスピリチュアルな領域に入り込むことになりますので、物理学の理論としては一つの形かと思います。

 さて、映画では、主人公のネオはred pill を呑み、幻想から目覚めます。そして、幻想から目覚めると、自分の本当の身体は管理システムに接続されており、それまで管理システムが作り出したコンピュータデータである仮想現実世界の中のアバターを自分だと思って生きてきたことに気が付きます。では、量子モナド論の宇宙においては、この「覚醒」はどのようなものなのでしょうか。目覚めた先はどのような世界なのでしょうか。映画では、アバターが存在する世界がコンピュータ内のデータの世界であり、人間本体が存在する世界が3次元の物質世界でした。これに対し、量子モナド論の宇宙では、アバターに相当する我々が存在する世界が3次元の物質宇宙であり、本体であるモナドが存在する世界は、3次元の物質宇宙がイメージとして投影される「高次」の世界です。宗教的な表現を許して頂ければ、3次元の物質宇宙に存在する我々の意識は「仮我」であり、モナドのレベルの意識が「真我」というものなのではないか、と想像します。

<引用開始>中込照明「唯心論物理学の誕生」第4章中の「世界モデルにおける量子力学と相対性理論の役割」の節

 筆者の提案する世界モデルは世界の基底構造に唯心論を置く。しかし、この「心」は主観的「心」ではなく客観的「心」である。モデルとして外から眺めているから、客観的唯心論と言ってもよい。通俗的な唯心論のように自分の主観を世界の基礎に置いたりはしない。

<引用終了>

 ここで、主観的「心」とは、アバターの心、すなわち我々の日常的な「心」であり、客観的「心」とは、モナドの「心」です。

 この客観的「心」がどのようなものか、直接的に言葉で表現することは難しいと思います。主観的な「心」の働きは、対象物の認識と、絶え間ない「心」の中の独り言、すなわち思考がその主なものです。そうすると、客観的「心」の働きは、その認識や、思考を成り立たせている基盤となるようなものであろう、とは想像できます。ここでは、エックハルト・トールの著作から、関連する記述がなされたところの引用をするにとどめます。

<引用開始>エックハルト・トール「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」第1章

物理的な静けさは、たしかに静止の次元にいたるのを助けるでしょう。けれども、それは、静止の次元にいたるための、絶対的条件ではありません。騒音があるときでさえ、騒音の奥にある、騒音が生まれる場所に、静寂を感じることができます。その場所が、内なる「純粋な意識」の場所なのです。

あなたは、五感とあらゆる思考の奥に横たわる、純粋な意識に気づくことができます。意識に気づくとき、内なる静寂が表層に現れます。

<引用終了>

 「心」と物質宇宙の関係を筆者の理解で図3に示してみました。エックハルト・トールの言う「純粋な意識」が中込先生の言う客観的心に対応するか、密接な関係があるものと考えます。この客観的心により、物質宇宙と共に「自分が存在している」という感覚を伴う主観的心が創り出されていると捉えてもよいのではないか、と思います。

 さて、量子力学の観測問題を解決する手段として、観測に関わる客観的心を物質宇宙の外に置く、という点が量子モナド論の重要なポイントです。しかし、物質宇宙の外の客観的心を説明するために、モナドという概念を持ち出すことが適当であるのか、そして、客観的心の数は複数とした方がよいのか(「分散モデル」)、単数とした方がよいのか(「集中モデル」)、については、議論が分かれるところではないか、と思います(図4)。次回は、この点について、もう少し考えてみたいと思います。