量子モナド論の概要

 量子モナド論とは、唯心論の形式で構成した量子力学の理論です。ここで、宇宙をイメージする「心」を持つ主体が「モナド」です。宇宙は、モナドの内面世界として存在します。

 この量子モナド論の概要を説明するために、中込先生は複数人で遊ぶ戦車のコンピュータゲームの例を挙げています。この場合、人間がモナドということになりますが、あくまで比喩として用いるもので、理論はもっと基底レベルのモナドについて考えられています。人間などの高次レベルのモナドに関する本格的検討は、今後とのことです(「シナリオ」と称した高次モナド構成の筋道が「万物の起源」に書かれています)。

 さて、ここで、コンピュータゲームの例を少しもじって、メタバースを例とした脚色をして見たいと思います。ここで、宇宙を認識する主体であるモナドは生身の人間で、各自VR(仮想現実)を体験するためのVRゴーグルをつけているものとします。VRゴーグルを通して見る世界が宇宙です。この宇宙には各自のアバターが存在します。自分の視点は、自分のアバターの所にあるので、通常と同じく、自分の手足や胴体は見えます。他人のアバターは全身が見えます。これ以外に建物等の背景が見えます(図1)。

 そして、このメタバースを作っているコンピュータが、各自のVRゴーグルに背景と各自のアバターからなる映像データを送ります。この映像データは、宇宙内での視点が異なるだけで、同じ宇宙を映し出すものです。そして、各自が宇宙内のアバターの位置や姿勢を変えれば、その位置や姿勢の変化を反映してコンピュータが映像を変更します。これにより、各自は同じ宇宙の中で、お互いのアバターが存在する映像を見せられるので、その宇宙とアバターが実在のものだという感覚を得ることができます。このアバターとの一体感が進めば、自分が、眼前に広がる宇宙の中にアバターの身体を持って存在している、という感覚になるのだと思います。VRゴーグルよりももっと進んだ仕掛けを使ったものが映画「マトリックス」の世界です。

 量子モナド論においては、モナドの意志で宇宙に変更を加えます。人モナドの場合は、複雑になってしまいますが、基底モナドの場合は、この変更が、観測における観測値の選択になります。数多くあるモナドのどれかのモナドの意志によって波動関数の収束が起きる、ということです。唯物論的な量子力学では、観測に関わる意志をその枠内で記述することに関してうまい解決策がなかったのに対して、唯心論の立場に立つことによって、宇宙の外にある意識の作用で観測過程を記述する、という方法が可能となり、宇宙の内部では唯物論的な取り扱いで不都合が生じないということになるようです。具体的な定式化については、もう少し勉強してから書きます。

 観測問題を素直に解決するこの量子モナド論の考え方が正しいのではないか、という気がしていますが、もし、そうなら私達の本当の意識は、言わばこの宇宙の外にあることになります。「マトリックス」でネオがred pill を飲んだ時のような「覚醒」が「悟り」の一つの形なのかも知れない、と思いました。その「場所」はもう、4次元とか5次元とかいう表現ができるような「場所」ではなく、コンピュータの演算装置のデータ内の世界から見た、コンピュータ装置が置かれた部屋、のような関係ですから、想像もつかない「場所」であろうと思います。中込先生の高次モナドに関する理論の展開を楽しみにしています。